「従う旦那、引く必要のないつま」が円滑な夫婦だということをちょっと否定してみたくなった台湾の昼下がり

なぜなのか。
どうしてなのか。
なぜそれ定期になってしまうのか。

つまですが、日本と台湾、両国でライセンスを。
台湾ではしません。
日本ではペーパーで、月に数度あるかどうか。
週末、わたくしはつま専用運転手に変身。

つま  「あそこ行きたい」
わたくし「あいよころんで」
つま  「ここ連れて行って」
わたくし「かしこまり」
つま  「次はここ」
わたくし「うぃぃ……」
つま  「やっぱり最初のお店」
わたくし「あぅぅ」

車には文庫本多数。
車中で過ごす時間のほうが長い週末。
これよくあること。

今日のお話は、わたくしがつまの運転手として余生をまっとうするという幸せな人生の話、ではありません。

もう十年ほど前の話。
まだ新婚と呼ばれるとある日のこと。
某所から家までの帰りの車中。

つま  「どうしてこの道通る?」
わたくし「こっちのほうが早いから」
つま  「方向違う」
わたくし「北から進むか西から進むかの違い」
つま  「あれ、わたし間違ってる? ……いや、あっちですよ」
わたくし「……そうですか。あなたが言うなら」

職業上、当時住んでいた街の道を熟知していたわたくし。
それでも、ハンドルを切り、つまが思う通りの道を。

その稟質は十分にあったのでしょう。
それから一ヶ月後に、車内で怒鳴りちらすことに。

わたくし「あんた、道知らないだろ!?」
つま  「でもおかしい」
わたくし「おかしくない。あんたの道でも行けるけど、そっち行ったら遠いの」
つま  「でも、あっちですよ」
わたくし「……」
つま  「あっちですよ」
わたくし「……そうですか。あなたが言うなら」

普通の生活ではこんなことないのに、どうして車内ではこうなってしまうのか。
逃げ場のない閉ざされた空間だからなのか。
そんなことを思っていたのですが、この理由は、台湾人夫婦の車に乗せてもらったときに判明します。

台湾でつまの友だち夫婦と九份方面へ向かう車中。
出発して10分も立たずにデジャブが。

ご主人が運転し、奥様とつまが会話。
目的地に向かうご主人。
つまとの話を中断して、道順が違うと説明しだす奥様。
不服ながらもハンドルを切るご主人。
渋滞に巻き込まれるメルセデス。
まったく気にしない奥様。
つまとの会話に夢中。
はるか先まで続く車列をただ見つめる運転席のご主人と助手席のわたくし。
あの申し訳なさそうなご主人の顔。
きっと一生忘れられない。

これと同じ光景が結構な割合で出現する台湾の車中。
きっとですね、女性が道順を指示する。
これが台湾のデフォルトなのです。

おそらく台湾では3つのパターンに。

タクシーがあれほど身近に使える文化で、騙されるということに敏感なお国柄。
女性が道順を指示するようになるのもわかるような気がするんですけどね。

先日も、つまのお義姉さん夫婦とのお出かけ時。
やはり乗車10分で「戦う旦那、一歩も引かないつま」劇場が。
この日は、出かける前に、お義母さんがお義兄さんに目的地までの道順を口頭で説明。
その道を使わず目的地に向かってお義姉さんがブチ切れるという複雑さ。
ちなみにお義兄さんの選んだルート、お義母さんが普段通るルートなんですけどね。

両者一歩も引かず。
運転してるのは俺だ。黙って乗っとけをもろともせず反撃するお義姉さん。

つま  「おねえちゃんとおにいちゃん、喧嘩してたね」
わたくし「この国には平和な車中はないんですかね」
つま  「うちはよかったね?」
わたくし「何が?」
つま  「わたし、言わない。あなたラッキー」

やはりこんなものなのです。
日常過ぎて覚えてすらイないのです。
にゃろう。

わたくし「……壊れたナビ女」
つま  「!?」
わたくし「お、お前は壊れたナビ女だ」

言った。
言いきった。
従うだけじゃない戦える旦那になるんだ。

携帯を取り出すつま。
つま  「お母さんに言う」
わたくし「それはちょっとやめて」
つま  「わたし壊れてない」
わたくし「……そうですね」

従う旦那、引く必要のないつま。
やはりこれに限る。これがお利口。

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