台湾人は外食文化。
食事は決まって外で。
残された者は? そんなの勝手に食え。
そんなわが家の外食にまつわるお話。
外で食べるほうが多いと言われる台湾の食事。
実体験から言えば、まぁ、その通りなわけで。
毎日、好きなものが食べられるなら、家で作るメリットなど。
皆無。
家で毎日、つまの手料理をくらうなど。
絶無。
……台湾の女性の皆さま、すいません。
言い過ぎました。
さて、昨年末のこと。
つまがママ友と年忘れの会へ。
ママさんと子どもたちがあつまりその会は開かれます。
今年の会場は焼き鳥屋さんとのこと。
もちろん、わたくしの出番は、行きと帰りの迎えのみ。
その日の朝。
つま 「今日の夜どうする?」
わたくし「お金」
つま 「ご飯ある」
吉野家でも食べようかと思っていた夕食。
何やら、起きたときにはすでに用意されていた模様。
一人寂しく食事する夫のことを思い、さきに夕食を作っているなんて感心感心。
たまにはこんな幸福もあるもんだ。
なんて、コーヒーをすすりながら思っていたのです。
キッチンに鎮座する箱を紹介されるまでは。
その2週間前のこと。
週末の買い出し。
つまが無造作にカートに放り込んだ箱の正体が。
つま 「これ食べて」
箱には『手羽先やきとり8本入り』の文字が。
これは一言いわねば気がすみません。
わたくし「お、お、お、お前は冷凍でも食っとけってか?」
つま 「きっとおいしいね、これ」
わたくし「そういうことじゃねぇなぁ」
つま 「焼き鳥嫌いか?」
わたくし「そういうことでもねぇなぁ」
つま 「文句あるんですか?」
この仕打、あまりにも過酷。
わたくし「よく聞け。もしもだ、恒例のもしもシリーズだ」
つま 「はい」
わたくし「僕がだ、友達と夜に焼き鳥を食べに行くとする」
つま 「はい」
わたくし「その日の朝、今日の夜はこれを食えって冷凍のそれも手羽先の焼き鳥8本を出されたらどう思う?」
つま 「ぷちきれるね」
わたくし「それッ! 今、それッ! ちなみにぷちじゃなくてぶち」
つま 「ぶち、ぶち、ぶちきれるね」
わたくし「そうです。あなた、ぶちきれるはずです。普通はねぇ、お土産で買ってくるもんです」
つま 「その後、カラオケ行く。だから無理」
わたくし「その話もきいてねぇなぁ」
というわけで、結局その日の夜、わたくしは手羽先の焼き鳥の夕食を。
八本残さず食べました。
最近は、こんなもしもシリーズに素直に答えるようになってくれました。
十数年でしょうか。最近ようやとという感じです。
数年前まではですね、こんなもしもシリーズに一切、答えてくれなかったヒトだったのです。
自分の分が悪いかもしれない、もしくは悪くなりそうだと思った時点で、だんまりを決め込み、相手のミスを待つわけです。
そして本題とは全く関係のない一つのミスを突破口に、恐ろしい勢いで反撃し、話題をそっくり変えてしまうという荒業に。
そんなのにずっと、『強烈な不満』を持ち続けてきたような気がします。
ただ、最近、こう思うのです。いや、思うようにしています。
答えてくれるようになったのは、夫婦として少し距離が縮まったのだと。
数ミリなのか数センチなのか、少しずつ距離を縮めていくのが夫婦なのであれば、きっとぼくがもっと努力しなければいけないのでしょう。
それにしても、ぷちきれるとは。
あのタイミングでぷちきれるとは。
もちろん、お土産はなかったです。
面白いです。がんばって努力して下さい。こころの片隅で応援させて頂きます。ぽじてぶが幸せを呼ぶと信じてやまない者です。